香港在住15年以上、国際結婚で英語、中国語(普通話・広東語)を中途半端に操り(笑)、香港が第二の故郷になっているトニー(@enjoyhklife)です。
以下の記事で今回の「2019年香港デモ」の流れを時系列で見てみましたが、今回はそもそもなぜ香港でこのような大規模なデモが起きたのか、その背景には何があるのかという原因に迫ってみたいと思います。
大きなポイントとしては、以下の4つをあげました。
- 香港形成の歴史的背景
- 香港人のアイデンティティ
- どんどん広がる経済格差
- 2014年雨傘運動の失敗と教訓
以下、これらのポイントを一つ一つ見ていきたいと思います。
(以下は、Wikipediaなどを参照しています)
Contents
香港デモの原因・理由①:「香港」が形成された歴史的背景
清王朝の領土からイギリスへの割譲
香港が世界史の舞台に登場したのは、1839年に勃発したアヘン戦争でした。
アヘン戦争で、当時の清王朝がイギリスに敗れたことから南京条約が結ばれ、香港島がイギリスに割譲されます。
さらに1856年に勃発したアロー戦争でも清王朝は破れ、1860年に結ばれた北京条約で九龍半島側もイギリスに割譲されることとなりました。
そして1898年には新界地区も、イギリスの圧力によって「租借」という形をもってイギリスが99年という期限付きで借り受けることとなったのです。
その後、香港はイギリスの植民地統治によって、清王朝、その後の中華民国や中華人民共和国とは異なった独自の発展を遂げていきます。
中国本土からの大量の移民(逃港者)
1949年に中国共産党により中華人民共和国が成立してから、共産主義に反発する多くの人が香港に逃れてきました。
この勢いが加速するきっかけとなったのが中国で起きた1950年代の大躍進政策、1967年に始まった文化大革命でした。
1955年から1980年代にかけて香港に逃げ込んだ人は約100万人といわれていて、1960年に300万人だった香港の人口は1990年には570万人までになりました。
香港の中国返還と「一国二制度」
イギリスによる植民地統治下で中国とは違った独自の発展を遂げてきた香港ですが、租借された新界地区の租借期限であった1997年6月30日をもって中国に主権が移譲されました。これが香港返還です。
やっとの思いで中国共産党の統治から逃げてきた多くの香港市民。
「一国二制度」で高度な自治が保証されるとはいっても信用できない、と1997年の返還までには移民ブームが起きました。
それに「一国二制度」政策が保証される期限となる2047年以降はどうなるのか、という問題が常に香港人が抱える懸念として残っています。
香港デモの原因・理由②:「香港人」というアイデンティティと反中感情
上に述べてきた香港形成の歴史的背景から、返還前から香港で生活している、いわゆる「香港人」が持っているアイデンティティは中国本土の「中国人」のそれとは大きく異なります。
そもそもイギリスの植民地統治により、英語での教育や中国本土では認められていない自由や資本主義の経済体制で育ってきた香港人のアイデンティティが、中国本土の中国人とは異なるのは当然ともいえます。
また1997年の返還後から22年たった現在まで、香港人が自分たちのアイデンティティをどう規定するか、という考え方は人によってギャップがあり、自分を中国人とは違った「香港人」とみるのか、それとも中国の中国人と同じように自分を「中国人」とみるのかは人や状況によって異なります。
若者75%「香港人」 返還以来、最高を記録(東京新聞)
一方で注意しなければいけないのは、この「香港人」というアイデンティティは、近年増加する中国本土からの大量の旅行者や移民(「新移民」と呼ばれます)に対する「反中感情」や中国人に対する軽蔑の意味を含んでいることもあるということです。
日本でも中国人による「爆買い」が流行った時期がありましたが、中国本土と隣接している香港には中国本土からの旅行者が日々大量に押し寄せてきています。
「香港人」というアイデンティティの主張には、時に騒がれる中国人旅行者のマナーの欠如や、金にものを言わせる態度に対して「私たちはあなたたちとは違う」と蔑視的なニュアンスが入っていることもあるということなのです。
一方で、中国本土との経済的なつながりや中国人旅行者による「爆買い」がなければ、香港が現在のように経済的な発展することもなかったのは事実であるものの、どうしても心理的に「中国人」を受け入れることもできないというジレンマもあるのではないかと思います。
香港デモの原因・理由③:不動産価格の高騰でどんどん広がる香港の経済格差
香港の「民主と自由」のために戦っているデモ活動者からは否定されるかもしれませんが、私は香港の不動産価格の高騰を中心とした「持てる者」と「持たざる者」の経済格差も見逃せない原因の一つだと思います。
以下の記事でも触れていますが、現在の香港で「マイホーム」を持つことは並大抵のことではありません。
https://enjoyhklife.com/%e7%a7%bb%e4%bd%8f%e5%85%88%e3%81%a8%e3%81%97%e3%81%a6%e3%81%ae%e9%a6%99%e6%b8%af%e2%80%95%e5%ae%b6%e8%b3%83/
家賃が安い公共住宅の入居申請も倍率が高く、簡単には入居できない状況もあります。
香港では中国と似ていますが、結婚を機に「マイホーム」を購入するカップルが多かったのですが、物件価格が安くても7000~8000万円してしまう現在の状況では、頭金をそろえることもほとんど無理です。
「大学でどれだけ勉強して、仕事でどれだけ頑張っても一生自分の家を持つことはできない」、「高い家賃を払うために一生働き続けなければいけない」というような絶望感からデモ活動に走っている学生も少なくはないかと思われます。
香港デモの原因・理由④:2014年雨傘運動での失敗と教訓
記憶にある方もいるかもしれませんが、香港では2014年にも大規模なデモ活動が起こりました。これが「雨傘運動」です。
5年前の雨傘運動の時も香港にいました。あの時は1枚目のように大通りを歩いて出勤しましたが、あれから5年なんですね。#雨傘運動5周年 pic.twitter.com/cjSw3bj2wd
— トニー@海外リーマン (@enjoyhklife) September 28, 2019
この「雨傘運動」は、今回のデモでも求められている「1人1票の『普通選挙』による行政長官の選出」を求めたものでした。
「雨傘運動」は、2014年9月末から12月中旬まで2か月半(79日間)続きましたが、香港政府の妥協を許さぬ姿勢と、座り込み抗議の長期化による経済の停滞、そして市民の反発により最終的には警察による強制排除で幕を閉じました。
2019年香港デモで徹底される「不割席」「不譴責」「不分化」
今回のデモでは、この2014年雨傘運動での反省をもとに「不割席(仲間割れしない)」「不譴責(互いを批判しない)」「不分化(分化しない)」という呼びかけがかなり徹底されています。
そして、かなり運動の質が洗練されているようにも思えます。
一つは平和的にデモ活動を行う「和理非」と暴力・破壊行為も辞さない「勇武派」の存在です。
「200万人デモ行進」にみられるように、平和的にデモ活動を行う大多数の「和理非」の人々に対して、暴力行為や破壊行為を辞さない部隊を世論がデモから離れないように、しかし政府にゆさぶりをかけるよう「適度に」勇武派を投入することによって、一定の効果を得ています。
また、これも世論を自分たちにつけるような文宣(プロパガンダ)活動がかなり効果を発揮していて、香港政府や警察のイメージを下げるのにも活躍しています。
まとめ
このように、今回の2019年香港デモは、政治的、社会的、経済的とさまざまな要因が絡み合って発生している運動となっています。
その中でも決して無視できないのが、香港人の「中国に対する不信・アレルギー」だと思います。
特に2010年代に入ってから、中国が香港にかける圧力というのは、決して小さなものではなく、これが「一国二制度」の根幹を揺るがしている、と香港人の中国に対する不信感に拍車をかける大きな要因となっています。
そこに経済的な要因が重なり、政治的にも経済的にも香港人の、特に若者が持つ絶望感が爆発したのが今回のデモともいえるのかと思います。
しかし、香港が中国に返還された以上、いやでも中国の一部として、うまく共存を考えていかなければいけないのも事実だと思います。
是非、お互いとの対話を通して解決への糸口を見つけることができればと願ってやみません。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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