2020年3月、新型コロナウイルス(COVID-19)は、中国から韓国などのアジア、そしてイタリアをはじめとしたヨーロッパ、さらにはアメリカへと広がりを見せています。
ウイルスの大部分の拡大が中国におさまっていた時は、欧州やアメリカの株式市場もそれほど反応していませんでした。
しかし、ウイルスが世界的な広がりを見せた今、WHOは3月11日に「パンデミック」を宣言し、3月13日、アメリカも「国家非常事態宣言」を出して、この未知のウイルスの対策に乗り出しています。
2月末には、これまで約10年にわたって上昇を続けてきたアメリカ市場も、この新型コロナウイルス収束までの不透明感と経済への影響への懸念から大きく下落。
株価指数の1日の下落が7%を超えたために、市場の混乱を避けるために15分間取引が停止される3月9日に初の「サーキットブレーカー」が発動し、12日にも再発。
13日には、アメリカ始め各国の対策を期待する思惑から、株価指数が2008年以来の大幅上昇となるなど、上下に激しく触れる変動の大きな相場となっています。
ここでは、今回のコロナクラッシュの影響を推測する上でも、過去の株式市場の暴落(マーケットクラッシュ)を振り返ってみたいと思います。
以下は、比較をわかりやすくするためにアメリカの主要株価指数である「ダウ工業株30種平均(ダウ指数)」の動きをもとに見ていきたいと思います。
Contents
過去の暴落(マーケットクラッシュ)
アメリカ市場で近年見られた暴落は、1987年から4回あったといえます。(今回が5回目)
発生年 | イベント名 |
1987年 | ブラックマンデー |
1997年~1998年 | 通貨危機 |
2001年~2003年 | ITバブル崩壊・同時多発テロ・SARS |
2007年~2008年 | 住宅バブル崩壊・サブプライム・リーマンショック |
2020年 | コロナショック |
こう見ると、ざっくり言って10年おきに大きなマーケットショックが起こっているといえます。
(※通貨危機はアジアで発生したものとして考えないとした場合ですが)
経済・景気にも、①好況、②後退、③不況、④回復といった「サイクル」があるといわれていますが、その周期は10年前後というのがひとつの指標となるとみられます。
それでは、一つ一つ、過去の暴落の歴史を見ていきたいと思います。
1987年10月:ブラックマンデー
ブラックマンデーは、1987年10 月19日(月曜日)に起こった株価の暴落です。
ダウ指数が1日で22.6%も下落するという、それまでマーケットが経験したことがないとんでもない暴落となりました。
(チャートはYahoo!Financeから)
ブラックマンデーの背景と原因
ブラックマンデーが起きる前のアメリカは、1980年代に財政赤字と貿易赤字の「双子の赤字」を抱え、さらに経済の停滞と物価の上昇が同時に起こるという「スタグフレーション」が発生していました。
そこで当時の米大統領、ロナルド・レーガンが「レーガノミクス」を推し進め、経済の再建を目指しましたのでした。
その一つの柱であった「インフレの抑制」により金利は上昇、アメリカ市場にマネーが流れ込み、米ドル高となって貿易赤字はさらに拡大していったのです。
この貿易赤字の解消のために当時のG5が集い、ドル安を誘導することで合意したのが1985年9月の「プラザ合意」でした。
思惑通りにドル安は進んだものの、今度はアメリカ国内でインフレ懸念が高まり、1987年2月にG7で協調政策を行うことに合意し(ルーブル合意)、為替レートを安定させようとしました。
しかし、当時の西ドイツが同国内でのインフレ懸念を背景に利上げを行ったことからG7の協調政策はうまくいっていないのではという懸念が高まっていきました。
ブラックマンデーにおける株価の動き
ブラックマンデー1日の動きでは-22.6%となりましたが、それ以前の8月末につけた高値から計算すると-38.9%となりました。
指数 | % | |
高値 | 2,746 (8月25日) | |
底値 | 1,677 (10月19日) | -38.9% |
期間 | 2カ月 | |
回復までの期間 | 1年 |
チャートを見るとわかりますが、8月末からじりじりと下げていたのが、10月19日に一気に下落。
ブラックマンデーは10月19日が底値となり、それ以降は緩やかに上昇し、1年で元の高値を回復しました。
1997年~1998年通貨危機
通貨危機は、アジア通貨危機といわれるようにタイやインドネシア、韓国で発生した為替レートの下落に端を発した金融危機でした。
アジア各国の通貨下落とともに経済にも大きな影響を与え、アメリカにおいてもアジア経済減速への懸念から相場の下落につながりました。
(チャートはYahoo!Financeから)
通貨危機の背景と原因
通貨危機はもともとアメリカのヘッジファンドを中心とした機関投資家による通貨の空売りに端を発したものでした。
1997年5月にタイの通貨であるタイバーツに対してヘッジファンドが売りを浴びせたことにより、タイ中央銀行は外貨準備を切り崩してこれに対抗。
しかし結局は支えきれずに、米ドルとのペッグ制も解消し、変動相場制に移行しました。
IMFも介入したものの、IMFの融資条件が景気後退期に入ったタイ経済の状況をさらに悪化させてしまいました。
通貨危機における株価の動き
通貨危機は1997年5月頃から発生していましたが、影響はアジアにとどまっていたため、アメリカの株式市場はその時点では反応していませんでした。
主に経済の影響をアメリカが懸念し始めたのは1年後の1998年の後半。
ただ、この危機の影響はアジアが中心で、アメリカに大きな影響を及ぼしたものでもなかったため、マーケットへの影響は限定的だったといえるでしょう。
指数 | % | |
高値 | 9,367 (7月20日) | |
底値 | 7,400 (9月1日) | -20.9% |
期間 | 1カ月半 | |
回復までの期間 | 6カ月 |
実際、下落幅はダウ指数で-20%にとどまり、半年ほどで以前の高値を回復する速さでした。
2001年ITバブル崩壊・同時多発テロ~2003年SARS
ITバブル崩壊は、1990年代後半のアメリカの低金利を背景に、投資マネーがIT関連のベンチャー企業に向かい、インターネット関連企業の株価が異常に高くなったことにより引き起こされた危機でした。
(チャートはYahoo!Financeから)
ITバブル崩壊の背景と原因
それまでアメリカでは主要な産業といえば自動車だったのが、1990年代に入り、IT関連企業が急速に台頭。
その象徴的なものが、マイクロソフトが1995年に発表したOSであるWindows95でした。
これによってマイクロソフトも株価が大きく上昇。
1990年代後半に入ると、「○○ドットコム」といった多くのITベンチャーが立ち上がり、上場によって多くの資金を集めました。
1998年~1999年のアメリカは低金利時代でしたので、銀行預金や債券ではリターンを得られない多くの投資マネーがこういった「ドットコム」企業に向かったのでした。
IT関連企業を多く含むナスダック指数は1998年初頭は1,500ポイント足らずだったのに、ITバブルのピークである2000年3月には5,000ポイントを突破。
個別株でもマイクロソフトは、1995年の年初には3~4ドル付近だったのが、ピークの1999年年末には59ドルまで上昇し、わずか5年弱で10倍以上の上昇となっていました。
しかし、1996年6月に米連邦準備理事会(FRB)が再び利上げを行ったことから、株価は大幅に下落。ITバブルの崩壊につながったのでした。
ITバブル崩壊後における株価の動き
ITバブルの崩壊では、ナスダック指数が2000年3月に頂点をつけ、ダウ指数は2000年は高値を維持していたものの、2001年5月の高値を機に下落に転じました。
その下げ幅は3割近くまでいっています。
指数 | % | |
高値 | 11,350 (5月22日) | |
底値 | 8,062 (9月21日) | -28.9% |
期間 | 4カ月 | |
回復までの期間 | 4年 |
その後、2001年9月11日の同時多発テロもありましたが、2002年3月には、10000ポイントを回復。
しかし、2003年に発生したSARSによって再び下落基調に。
2003年3月に底をつけてから、ようやく本格的な上昇基調に転じました。
2007年住宅バブル崩壊・サブプライム~2008年リーマンショック
2007年までに発生していたアメリカでの住宅バブルは2002年から2004年までのアメリカの低金利が背景となっていました。
これにより住宅購入のための融資条件も緩和され、これが住宅バブルと融資バブルにつながっていったのです。
アメリカでは、住宅ローンの多くが「証券化」されていて、これが金融商品に組み込まれ販売されていました。
このうち、一般的に低所得者層向けに提供されていたサブプライムローンは多くが変動金利となっていました。
これが2006年から上昇を始めた金利を背景に不良債権化し、これらを証券に組み入れていた「サブプライムモーゲージ」の価格が下落したことが暴落の引き金となりました。
(チャートはYahoo!Financeから)
サブプライム崩壊とリーマンショックの背景と原因
既に述べたように、アメリカで進んでいた住宅ローンの証券化が、2006年からの金利上昇によって、不良債権化し価格の下落につながったことが、住宅バブルの崩壊と、サブプライム住宅ローン危機につながりました。
これにより、多くの関連商品を抱えていたアメリカの投資銀行であるリーマン・ブラザーズは巨額の損失を抱え、2008年9月、負債総額6000億ドルというアメリカ史上最大の企業倒産となったのです。
リーマン・ブラザーズの倒産は世界的な信用収縮と金融危機につながり、2008年10月のリーマン・ショックを引き起こしたのでした。
サブプライム崩壊とリーマンショックにおける株価の動き
2007年のサブプライム崩壊でダウ指数は13%ほど下落していましたが、そこからじりじりを下落を続け、2008年10月のリーマンショックではさらに37%下げています。
以下は、2008年リーマンショックのみの影響を数字で出したものです。
指数 | % | |
高値 | 11,867 (8月11日) | |
底値 | 7,449 (11月21日) | -37.2% |
期間 | 2カ月 | |
回復までの期間 | 2年半 |
サブプライム崩壊前からリーマンショック後までの影響では、ダウ指数で50%下げるという非常に大きな暴落となっていました。
ただ、サブプライム崩壊前のレベルも2013年には回復し、そこから2019年までにいたるアメリカの上昇相場につながっていたのでした。
2020年新型肺炎・コロナショック
今回の新型コロナウイルスでも、世界的な低金利状況、アメリカ市場への資金の流入などが背景としてありました。
アメリカ市場は首相株価指数が過去最高値を更新し、多額のマネーがアメリカ市場に流れていたといえます。
前回のリーマンショックから10年以上たっていることもあり、暴落が来るのでは、ということはささやかれていましたが、アメリカ経済は比較的堅調であったことから、まさかショックがコロナウイルスからくるとは事前には想像できなかったのではないでしょうか。
(チャートはYahoo!Financeから)
指数 | % | |
高値 | 29,568 (2月12日) | |
底値 | 21,285 (3月13日) | -28.0% |
期間 | 現在まで1カ月 | |
回復までの期間 | ? |
相場はすでに3割近く下落していることから、暴落としては、すでにこれまでの暴落に匹敵する下落を経験しています。
これが、相場の底になるのか、さらなる下落が起こりうるのかは、今後の状況を見守っていく必要がありますね。
まとめ
これまでの相場の暴落を見てみると、背景としてアメリカ始め世界的な低金利、株式市場への資金への流入などがあることがわかります。
そして相場のサイクルとしては10年がひとつの周期となっているのも見て取れますね。
暴落としてはほぼ3割というのがひとつの指標ともなっています。
①背景には低金利状況、市場への資金の流入がある。
②相場のサイクルは10年が目安。
③下落の目安は株価指数で3割
これらの暴落の歴史を踏まえて、現在の株式市場を見て、冷静に行動をしていきたいです。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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